苦痛脱却帳

苦痛や不幸から抜け出す方法を書いていきます

39:反省/「自分のされて嫌なことをするな」は自身の許容範囲が広ければ効果がない

2023年12月5日
自分のしている仕事と並列の仕事している10人の集団の一人が自分に対して不満を抱えていたようだ。感謝の意を伝えた時、自分の返答が「どういたしまして」で終わらないのが鬱陶しいらしい。
自分が、その人の仕事を代わりにして「ありがとう」と言われた時、「いいえ大丈夫です(どういたしまして)」と言った後、「こういう状況だったのでしておきました」というような状況説明を、気にしないでほしいの意味も込めて最後に付け加えていた。
というのも、「どういたしまして」と返すだけだと、頼りにしていたのに違う日に仕事をしていなかったら、「あの日は代わりに仕事してたのになぜ今日はしてくれないんだ」と腹を立てられたり(以前こういう経験がこの10人集団の一部との間であった)、毎回後輩である自分に「ありがとう」と感謝を伝えることで相手のプライドが傷つけられるのではないかと恐れていたからだ。
毎回毎回会話がスムーズに気持ちよく終わらず、状況説明が追加されるのは確かに鬱陶しいかもしれない。
状況説明をしっかりしなければそれが攻められる原因になるのではないかとの恐れが大きすぎて、先手を打ちすぎていたのだと思う。
これからは「どういたしまして」だけで会話を終了させようと思う。
そのタイミング以外で明日(今日)代わりに仕事できるかできないかを伝える。
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「自分のされて嫌なことをするな」は自身の許容範囲が広ければ効果がない

人が何が不快になるのかがわからない。
人が何が不快になるのかがわからないので、上記の12月5日のように人間関係で問題が発生したら、その問題一つ一つに対して対応して変化をつかむの繰り返しを行っている。

そして、自分は他人に直接危害を加えられる以外のことは、誰が何をしていても特に気にしなかったので、他人の言葉や行動であまりイライラしなかった。おそらく他人を許容できる範囲が比較的広かったのではないかと思う。

「自分のされて嫌なことをするな」とよく言われるが、他人への許容範囲が広れば広いほど、この言葉の効果は小さくなってしまう。「自分がされて嫌なこと」と「他人がされて嫌なこと」との差がない事を前提にした言葉だからだ。「自分がされて嫌なこと」に照らし合わせて行動すると、他人の許容範囲外をしていることに全く気づかず、いつの間にかなぜか他人を不快にさせたり怒らせたりして仲違いしてしまうということが多々発生してしまう。自分がまさにそれで、物心ついてから大学生の頃までその差に苦しみ続けた。
あるとき考え方を「悪いほうに」変えてみようと思った。
あえて些細な事でイライラしてみる。まわりを責めてみる。最悪な性格を演じてみる。心の中を悪意で満たしてみる。(実際に行動するわけでなく、心の中だけで。)
これにより「この言葉は言い換えないとイライラしている相手を刺激しそう」「悪意を潜めた人に攻撃されるからしないでおこう」といった、今までの自分では考えつかなかった、新しい対応が生まれるようになった。
自分の許容範囲が広い人は、上にあげたように、あえて些細な事でイライラしてみる。まわりを責めてみる。最悪な性格を演じてみる。心の中を悪意で満たしてみる。(もちろん実際に行動するわけでなく、心の中だけで。)そうすれば、他人の心情に気づくことができるようになるかもしれない。

*記憶障害についてと反省

前回のブログ(2023年11月23日)に書かなかったが、2023年11月22日に再度の記憶喪失状態になっていた。(⇒1時間後に記憶がほぼ完全復活)

2023年11月18日、再度の記憶喪失状態(⇒3時間後に記憶がほぼ完全復活)から中4日しか間を開けずに立て続けに発生したため、このような記憶喪失のような状態が頻繁して起きるのだろうか若干不安ではあったがその後は現在まで問題はない。
障害者手帳は記憶喪失の問題が継続するともらえる可能性が出てくるようだが、現在の職場でこの状況をオープンにせずに気を使ってもらうことなく普通に仕事を続けたいと思っているので、たとえ障害者手帳をもらったとしても自分にとって何らかのプラスになることはない。

コミュニケーション目標
1:笑顔をつくる ― 実行中
2:「ありがとうございました」を絶対に忘れない ― 実行中
3:自分がその場に到着したら宣言する ― 実行中
4:定期的に全員に話しかける ― 少しずつ実行中
5:大きな声で話す ― 忘れていた
6:ありがとうに対しては「いえ大丈夫です」「いえ全然大丈夫です」という返答をする。これを続ける。 ― 実行中
7:一日一日の反省を日記に書く(細かくても) ― 忘れていた

・大きな声で話す
・一日一日の反省を日記に書く
忘れないように生活をしたい

今現在かなり短期雇用のアルバイトに自分が仕事を教えなくてはならず、残業もありかなり忙しいため更新が遅くなってきてしまっている。それでもなるべくブログを頻繁に更新していきたい。

38:記憶喪失状態 再び

2023年11月18日、再度の記憶喪失状態になる。
結果から言えば隣接する仕事をしているグループに嫌な噂をされたと勘違いして発症した。
「○○くんって…」自分の近くで自分の名前が出され、小さい声で内緒話が始まる。言われたタイミングですぐ声の方向を振り返ったわけではないが、少し経ったタイミングで、見ているのを悟られないようにそちら側方面に視線を軽く送ると、全員がこちらを向いており嫌な顔をしていた(嫌な顔というかいい顔はしていなかった)。これは悪口だと直感で思った。多くの顔がこちらに向いている瞬間は、今も思い出すだけで過呼吸気味になる。
完全に敵に回してしまった。気づかないところで自分にミスや落ち度があったのか?今までのコミュニケーションの努力をまたゼロから始めないといけないと思った瞬間、脳から昨日の記憶、今日の記憶、過去の記憶がどんどん消えて、頭の中が真っ白になっていった。仕事中に脳がほぼ働かなくなってしまった。だいぶ焦ったが、幸いなことにこの日の業務はあと15分くらいで終わる。誰からも話しかけられないようにしてこの場を立ち去らなければ(頭が真っ白の状態だと全く会話にならないため)。家までは公共交通機関を使っていることが幸いし、帰宅は無事にできた。自家用車だったら運転することは絶対に不可能だ(こういうことが起こる可能性があるから免許はあるが車は運転していない)。
帰宅時も家に帰ってからも自分はそこまで焦ってはいなかった。常にマイナス思考を排除する考えをクセのように行っていたため、以前記憶喪失状態になった時に撮れなかった脳のMRIを撮るために医者を探さないといけないということを一番に考えていた(前回は記憶喪失時にMRIを撮れなかったのが心残りだった)。それに2015年1月(15:就職面接直前に過呼吸で辞退 その後別の場所に就職するも記憶喪失状態になる)や、2015年11月(17:ファストフード店の仕事は難しい)のような完全な記憶の失い方をした時は脳の10%くらいしか働いていない状態だったのに対して、どうやら今回は40%くらいは稼働していたように思う。それに、運よく3時間後に記憶がほぼ完全復活し、脳が正常な状態で動くようになった。

翌日
10人のメンバー(当日は8人出席)と対峙することになる。大変な毎日が始まる…覚悟して出勤した。しかしメンバーらの態度が変わるのかと思ったらそうではなかった。その後もメンバーのリーダー格含め何事もないように接してきたし、陰でこちらを見る(様子をうかがう)なんてこともなかったし、嫌な思いもしなかった。数日経ち自分の思い込みだったのでは?その可能性の方が強くなってきた。自分がただしやれることはやろう、最善は尽くそうということで、仕事のメンバー全員に対しコミュニケーションの取り方を見直そうと決意した。

コミュニケーションの取り方を見直し

10人のメンバーというのは、自分のしている仕事と並列の仕事をしており、自分の仕事が少なかったら手伝うし、自分の仕事が多かったら助けてもらうような関係だ。しかし自分の仕事が自分1人であるのに対し相手は10人で、かなりのアンバランスだ。そして全員女性である。一般の言い方で言うと昼間だけ仕事をするパートである。時間帯的に子育て中の女性が多く応募してくる時間帯であるがゆえに全員が女性になっているようだ。
メンバー10人の中に3人のリーダー格(お局様)がおり、3人ほぼ同時期に入社し、3人とも勤続年数10年超。その10年間で約20人の新人に嫌がらせをし辞めさせ(もちろんいじめ以外で仕事が合わなかったり定年などの理由で辞めた人も居るだろうが)、今も続けているのはわずか3人+自分と同期の新人4人。いじめに耐えられずに新人が辞めて、会社が新たな人を募集する、そしてまた新しく入った新人をいじめて辞めさせる。比較的大きな会社であるため、職員が辞めても痛くもかゆくもないのか、上司はその事実を知っているが全く対応しないという、いじめ犠牲者を増やすだけの最悪な状態が続いている。この状態は他の部署の人も知っているのだが、誰が進言しても動かないようである。自分と同期の新人4人は勤続年数1年半程度だが、嫌な思いをしながらも続けているようだ。

10人の中の3人のお局様の中にもボスがおり(年齢を聞いたことはないが50代くらい?)、グループはほぼその人が仕切っていると言ってもいい。自分も最初の頃にかなり嫌な思いをした。自分はいくらでも教えることができるのに、わざと教えずに失敗やミスが起こさせ悪口のネタにする。自分からはほぼ教えない。ボスの怒りが一定ラインを超えるとその辺の箱を蹴っ飛ばす。他のメンバー7人はボスや他のお局2人の顔を常に気にしているので、いじめが発生しても乗っかる(5人)かどちらの味方もせず関与しない(2人)だけで、事態が改善することはない。自分も陰でかなり悪く言われたし、箱を蹴っとばして自分に対する怒りを表現されたこともあった。自分への陰口を聞いて、それを改善する行為を繰り返して今ようやくボスと良好な関係までもっていったところであった。まさにその努力が壊れたショックで今回脳に影響にを与えるまでに至ったのかと思う。

自分のこれからの具体的な対応策
1:笑顔をつくる ― 笑顔がなくてもなんとかなる信頼関係までになったと勝手に勘違いしていた。常に明るくふるまう。
2:「ありがとうございました」を絶対に忘れない ― 感謝を表すべき場面になったら常に100%の確率で必ず言う事(最近は仕事に慣れて、新しい仕事もなくなり、教えてもらう事が少なくなった。それゆえ思わず「ありがとうございました」を言いそびれてしまった可能性が複数回ある。
3:自分がその場に到着したら宣言する ― 居るはずのない人が居ると 驚く⇒不快⇒怒りを感じる人が多い(おばさん勢は特に)。急にその場に来たにも関わらず挨拶はしない。これを完全に繰り返してしまっていた。大きな失敗である。これもコミュニケーションを積極的に図らなくても何とかなる関係にまで持っていけていただろうという考えにいつの間にかなってしまい気を抜いていたせいである。
4:定期的に全員に話しかける
自分からあいさつ以外で最後に話しかけたのは
お局A ― 3週間前
お局B ― 半年以上前
お局C ― 半年以上前
中堅D ― 半年以上前
中堅E ― 2週間前(話すべき機会があったので話した)
中堅F ― 半年以上前
新人G ― 半年以上前
新人H ― 半年以上前
新人I ― 3か月前(一緒に仕事をする機会があったため)
新人J ― 半年以上前
ボスであるお局Aさんだけに話しかけてそれで安心して他の人に全く話しかけていないのを思い出した。これからは他の人にも積極的に会話をはかってみる。
お局が居るのに他のメンバーに話しかけると、「なぜこの私がいるのに後輩に話しかけるんだ!と怒り、その矛先が自分だけでなく新人4人に行く可能性があるので必ず避けている。よって新人に話しかける機会は、新人仲間だけがその場にいるときか、新人仲間と一対一の空間だけということに決めている。
5:大きな声で話す ― もしかしたら自分の返事が聞こえずに無視されたと勘違いされてしまった事があったかもしれない
6:ありがとうに対しては「いえ大丈夫です」「いえ全然大丈夫です」という返答をする。これを続ける。
7:一日一日の反省を日記に書く(細かくても)
・○○をお願いしたのは失礼だったか
・すいませんを小声で連発したのは失礼だったか(回数・声量が適切か)
・◆◆を放置していたのは不快だったか
・もっと早く□□に手を付けるべきだったのでは
自分は毎日1日1ページ日記を書いているので、それに反省も書き入れることにする。(B5ノートは30枚60ページなのでだいたい2か月に1冊のペースで消費している。)

人間関係でできることはこのくらいか。
記憶の問題は、ちょっとどうしようもない。仕事のメモを念入りに書いておくくらいしかない。今記憶喪失になってもなんとかなるような仕事のメモ帳を作成途中だ。なんとかならなくてもないよりはいい。障害者手帳は記憶喪失の問題が継続しないともらえないらしいので、不可能なようだ。仕方ない。

37:パン屋の仕事内容(職場15か所目)

15か所目の仕事場、パン屋(イートイン可能)でアルバイトとして働いた(2019.6~2020.7)。この仕事についてはブログで詳細を記入していなかったのでここで記入する。世の中のアルバイトの求人情報を見てみると、資格や経験がなくても応募できる職業は、基本は接客業が多く、その中でも飲食業が特に多い。その仕事に対応できれば将来的に仕事・アルバイトの応募先を広げられるし、以前アルバイトでファストフード店の仕事をしたときの自分の要領が悪さをある程度反省できていたので、次は以前よりうまくやれるのではと思い飲食業に再挑戦することにした。

この仕事をしているときは最後まで記憶障害や耳の聞こえづらさの問題は起きなかった。メモを持ち込んでよかったため、物覚えの悪さについてはある程度カバーできた。教えてもらったことは全て漏れなくメモをした。クリーンルームのような衛生的な閉鎖空間で作業する職場ではメモは持ち込めないので、おそらく自分は絶対に無理だっただろう。
駅前でアクセスがよく通勤時間が短い。店舗がビル内に入っていたためトイレ掃除がない。そしてファストフード店で悩まされたレジとドリンク類製造の同時作業がない(レジとドリンクを製造する人が別々だったのを下見に行ったときに見た)。色々と条件がよい職場にだったので応募した。


ーーーーーーー[★仕事内容]ーーーーーーー
【接客レジ打ち】
客が店内のパンをお盆に乗せてレジに持ってくるシステムの店だった。最初から袋詰めされていれば、袋に貼ってあるバーコードをレジで読み込むだけで会計できるのだが、この店では焼き立てのパンを出すことがウリなので、事前の袋詰めはしないで売る。
よって、パンの名前を全て覚える必要がある。客が持ってきたパンを見て、パンを判別し名前を思い出し、そのパンのレジキーを押す。
パンは70種類ある上に、1か月ごとに新商品や期間限定メニューが入る。その全てのパンの名前を覚える必要がある。

非常に親切な店長で、全商品名と全商品写真が印刷された紙雇用契約の日に渡してくれた。
自分はそれをコンビニのコピー機で拡大印刷して、切り取り、英単語や九九を覚えるかのように単語帳状にして、毎日自宅で見て、無事全商品を覚えることができた。

レジのタッチパネルを操作するにあたって、レジキーの位置も覚えなければならない。
悩んでいることがあるか店長に聞かれたとき、複雑なレジキーの場所を覚えるのが難しいと申し出たら、レジキー配置図を印刷して渡してくれた(仕事を初めて3日目?だったかと思う)。それで家で自主的に勉強できた。(ここまでしてくれる店長はなかなかいない。)
レジのタッチパネルは、以前働いていたハンバーガー店とは違い、種類ごとにうまく ※色分け されており、ある程度規則正しく並んでいるので、レジキーは慣れれば比較的楽だった。
※色分け:総菜パン、菓子パン、食事パン、蒸しパン、サンドイッチ、…という具合にジャンル別に色分けされてる。

そして新商品や期間限定メニューのボタンは、あらかじめ新商品用に開いている画面端に追加される。(1か月すると各ジャンルの位置に吸収され、通常商品となる。)
以前働いていたハンバーガー店では、ジャンルごとに並んでおらず、新商品のボタンもたまたま空いている位置に無理やり押し込む感じでわかりにくかった。

レジでの仕事
・レジで合計金額を出す
・現金払い ― 対応が一番楽。
電子マネー払い ― 専用の端末があるが、操作が少し難しい。操作が何段階かある。特に数字を打ち間違えた時は、操作(間違い)→取り消し→再操作で3回も端末をいじることになるので大変。
・クレジットカード払い ― 難しい。一括・分割・ボーナス払いがあるが大抵、というか対応した全員が一括だった(と思う)ので「一括でよろしいですか?」と質問して、返事をもらい端末を操作していく。操作は何段階かある。金額打ち込みの数字の間違に注意する。間違えれば、こちらも操作(間違い)→取り消し→再操作で3回も端末をいじることになりお客さんを待たせることになる。
・ポイント支払い対応 ― ポイントカードを端末に入れ使用ポイントを入力してOKを押すだけ。(これは楽なほう)
・ポイントカードにポイントを溜める ― ポイントカードを端末に入れ、金額を入力するとポイントが付与される。
・コーヒーチケットの使用 ― コーヒーチケット専用のボタン(0円会計ボタン)がある。(コーヒーチケット購入も可能、その専用ボタンもある。)
・近隣の映画館の半券で特定の飲み物店内無料サービス ― これは専用のボタンがないので、ボタンを押さずに会計(購入してない事にして会計し、無料で商品を渡す)。
・商品券での支払い対応 ― 使える商品券が20種類ほどあり、提示されたものが使えるものかどうかをチェックする。お釣りの出ないものとお釣りが出るものが存在するので注意する。
・領収書の記入
商品、クレジットカード、ポイントカード、お釣り、レシート、クレカや電子マネーのレシートを全て忘れずに渡す。

以上が一連の動き。これを覚えるだけでも大変だった。普通の人なら仕事外の時間で予習復習することなく、仕事時間内で覚えられるのかもしれないが、自分は発達障害気味なので、仕事中だけでなく、帰宅後も休みがないくらいに勉強・練習が必要だった。

【ドリンク製造】
レジの人から伝達されたドリンクを製造する。冷蔵庫から取り出して注ぐだけの比較的単純なものが多かったが、炭酸を注入する必要のあるドリンクだったり、ミキサーを使い時間をかけて製造するドリンクもある。
ホットコーヒー、ホットカフェオレ、ホットココア等は温める必要があるため時間がかかる。ミルク・砂糖・ガムシロップ類は自由に持って行っていいシステムだったので、レジで渡す手間がなかった。(←これは素晴らしい。以前働いたハンバーガー店ではレジで渡すので手間がかかるし、サイズに対して数が決まっていたしのでかなり厄介だった。)
土日の昼間12:00~13:30くらいは、客が途切れることなく接客が続く。

*自分の短期記憶力のなさは相変わらずであった。
レジAから「ホットコーヒーとコーラS(店内飲食)」、直後にレジBから「アイスティーM持ち帰り」の用意の代行を頼まれたとする。そのとき「ホットコーヒーとコーラS」を用意している時に次の商品が何だったか(アイスティーM)を忘れてしまう。アイスティーMを覚えていたのはいいもの、持ち帰りでなく店内用のものを用意してしまったり。これは通常の人にも起こりえるミスではあるが、自分の場合はそれが多すぎた。注文を何度も口ずさんだり、メモしたりした。メモでせず忘れてしまい、レジの人に聞き返すことが何度もあった。注文が立て込んだ時にはレシートを印字してくれるので、それを見て用意する。毎回レシートを印字してくれればいいのだが、そうはなっていなかった(注文が立て込んだ時だけだった)。


【ベイク作業(パンを焼く&焼く関連の作業)】
以下の仕事を全て一人で行う
1.ホイロ(パンの発酵させる機械)内のパンの膨らみ具合の確認
2.パンの焼成前作業(霧吹きで水をかける、手粉、粉砂糖、きび糖、グラニュー糖、塩、ごま、ブラックペッパー、ケチャップ、からしマヨネーズ、バター、マーガリン、パルメザンチーズ、チェダーチーズ、モッツアレラシュレッド、卵の黄身、ベーコン、チョコを等使用)
3.パンを焼く作業――(温度調整(上/下)、火力調整(上1~8/下1~8)、時間調整、3つの値を確認して焼く。 例:温度190℃/200℃ 火力上2/下3 8分間)
4.焼かれたパンに仕上げ(霧吹きで水をかける、粉砂糖、杏、オリーブオイル、バター、マーガリン、バジル、パセリ、明太子、ホイップクリーム、チョコ等を使用)
5.品出し(パンを店頭に並べる)
6.洗い物

(5品出しは他のメンバーがやってくれることもある。2・4の仕事も極めて忙しい状況の時には他のメンバーがサポートしてくれることもある。しかし基本は一人ですべて行わなければならない。)

1.ホイロ時間が長いと既定の大きさより大きくなる「ホイロオーバー(過発酵)」になるので常に気をかける必要がある。
ホイロ機械の中には20種類程度のパンが入っている。パン生地が10cm×15cmの大きさになったら取り出す、8cm×8cmに膨らんだら取り出すなど規定があるが、いちいち20種全種のパンを取り出して大きさを確認する余裕はない
よって目視で取り出すことになるが、これがどうしても難しく、感覚でうまくやるのが苦手な自分は、何度もノギスで大きさを測ることになり、仕事が極めて遅かった。

焼成前作業手順、3パンを焼く際の各数値、4パンを焼いた後の仕上げ手順、をエクセルで簡易的な表にまとめたものを自主制作した。しかしそのメモを見る余裕すらなかなかなく、結局頭で覚える事が多かった。
分量も10gだとかの規定があっても、はかりで量る余裕がないので全て感覚でやる(これは全員やっている)。難しい。
そして焼く際の数値、温度:190℃/200℃ 火力:上2/下3 時間:8分で焼くという場合、190・200・2・3・8を覚えないといけない。スチーム噴射のあり・なしもパンによって違う。難しすぎる。結局自分は、焼くときの数値は絶対に間違えられないのでメモを見て行っていた(ゆえに他人より作業がかなり遅かった)。
しかも常に窯の調子によって時間を変える必要がある。外の気温が高いとか。8分の規定を自分の感覚で7分に変えるとか、明文化されていない感覚に頼る部分が多い
デッキオーブンは縦に3つ並んであったが、上段と下段が稼働している時は中央段は熱くなりやすいので少し焼く時間を控えめにするだとか、簡単に1~2分は変わってくる。
そもそもレシピ表の公式数値すら、この店と違う店舗での数値なので、各店舗で一人一人が微修正する必要がある。律儀にメモに従っても違う部分が出るのだ。この辺は感覚で最後まで一切コツがつかめないまま仕事を辞めるに至った。

勤めた店にはデッキオーブン3か所、コンベクションオーブン2か所の合計5か所の窯があり、すべての窯の動きを認識しておかないといけない。
次々にパンを焼いていきたいのに、窯は温度が変わるまで時間がかかる。210℃→170℃に下がるまで待つとか、170℃→190℃に上がるまで待つとか無駄な時間ができてしまう。規定が180℃なら176℃~184℃になるまで入れられない。
温度の近いもの同士を連続して入れていくように言われたが、そこまですると覚えることが多すぎて頭がパンクする。(既ににパンクしているが。)
そのうえホイロ中の全種類のパンの発酵の進行具合チェックし、品出しもしないといけない上、洗い物も溜まっている。大忙し。

自分は複数の作業を高速で同時進行するのはやはり苦手だったと再認識した。
同時期にベイク作業に入った同僚はうまくやれている。店長には仕事の要領が悪い(時間の使い方が下手)だと言われたし、自分でも実際そうだと思う。

【発注業務】
大学生の多い職場だった。大学生は1日2~3時間しかシフトに入らない。たくさん仕事に入れるフリーターである自分が、発注業務を担うことになった(もう一人と担当は折半)。
バター、チーズ4種、鶏肉、ソーセージ、ベーコンといった食品や、スプーン、ストロー、マドラー、紙ナプキン、紙コップ、割り箸、レジ袋といった消耗品の発注作業。
どれだけ減るか予想して発注しなければならない。食品は消費期限があるので、常に先読みして発注する必要がある。
自分は慎重にしなければミスが出るので、30分~1時間サービス残業状態で働いていた。

【清掃業務】
「グリストラップ(床下の排水溝の部分)」という悪臭を放つ場所の掃除が苦痛だった。開くだけで悪臭が漂い、虫も居る。

グリストラップに沈殿した汚れと浮かんでいる汚れを掃除用の穴あきお玉ですくい出し、その汚泥を燃えるゴミに入れる。銀色のバスケット部分を取り出して、汚泥を燃えるゴミに入れる。これを毎日自分が担当。たまに跳ねてくるので最悪である。

 

ーーーーーー[同僚との人間関係]ーーーーーー
他の職場よりはうまく困難に対応できていた。しかし、同僚との人間関係は全くうまくいかなかった。自分だけ重要な連絡が回ってこなかったり、自分だけ無視されたり、自分の注文伝達に返事をしてくれないこともあった。女性比が非常に高い職場(9:1くらい)だったせいで、立場の弱い自分が、同僚の八つ当たり対象になってしまってもいた。
今思えば自分の言葉数も少なかったかもしれない。言葉数が少ないので警戒されて避けられていたのだと思う。たまに自分が話に混ざると会話が止まってしまう状態だった。


ーーーーーー[客・クレーム対応]ーーーーーー
毎日のように来る常連のクレーマーや悪意のある態度に苦しませられた。
最初の頃の自分はレジ・販売・ドリンク製造を担っていた。あるときレジで取り置きミスが発生。取り置きの電話を店員の誰かが受け取っていたが、それが伝達されておらず、パンの取り置きがなされていなかった。その客が店に来て商品を渡す段階で取り置きがない事が判明して、店頭に出ているパンから出すことになる。すると取り置きでなく店頭に置いてあるパンを渡すことになったことに対して激怒。その時店長は居なかった。何度も謝罪要求(店に居る3人全員に対して)し、大声で威嚇し騒ぎ、10分間レジに居座る。女性従業員を泣かせる。帰宅後にで40分のクレーム電話。私個人の名前を出して態度が悪い、私が一回も謝罪しなかったと言う(謝罪は何度もしていたのだが)。店に直接電話をするのでなく、駅ビルにクレームを入れてから、さらに店にクレームを入れており、クレームに慣れている人物のように思う(駅ビル通した方が店舗にダメージが大きいので)。クレーマーは自分が有利になるような嘘ばかりをついたが、店長が電話を受け取り40分間謝罪し続けた。それについて、自分が店長から責められることはなかったが、それ以降は基本は後方でのベイク作業(パンを焼く作業)に従事することになった。(上記のベイク作業の体験談はクレーム後の話である。)しかしそのクレーマーに店として真面目に対応してしまったためか、毎回レジ従業員を威嚇し(パンの乗ったおぼんをレジに置くときに叩きつけるなど)、高圧的で悪意のある態度をとって去っていくという繰り返しになってしまった。たまにレジに出て対応するたびストレスがたまった。結果としてクレーマーを増長させてしまったように思う。他にも紙コップでなく水筒に入れてと頼むのはいいのだが、毎回洗ってこずに、水筒を洗うように命令する客(これも店が律儀に対応)、店内飲食か持ち帰りか聞くと「こんな量食べられるわけないでしょ!」と怒る客など(4人で来て1人が代表で注文して店内飲食する場合もあるので量で持ち帰りかどうかは判断できないので聞くのだが)ストレスしかない職場だった。


⇒以上のようにクレーム、同僚との関係、仕事の難易度の高さの三重苦に苦しむようになった。改善案を自分の中で検討して実行するも、事態は好転することなく、結局退職。この経験から、接客業以外の仕事から職を探すことになった。今後の人生で接客業で働くことはないだろう。

36:田舎の心構え 町はマンション・道路は廊下・家は部屋

自分は、2009年の大学入学と同時に田舎(地元)から東京に出て、2018年に東京から田舎(地元)に帰ってきた。

改めて田舎で暮らし始めて思ったことは、田舎の人間関係の濃密さが本当に生きづらいということだ。家を出てから家に帰るまでずっと監視社会で、日常生活を送る中で苦痛だと感じる事が何かと多い。近所の人が自宅に訪問してくることもあるし、付き合いが本当に面倒だ。

しかし考え方を変えた。

この町全体を一つのマンションだと考えれば苦痛を軽減できたということだ。
町はマンション・道路は廊下・家は部屋と考える。
駅はマンションの玄関だ。道路は廊下なのですれ違ったら挨拶する。同じマンションに住む住人とあいさつするのは自然だ。
家は部屋だ。部屋に近所の人が訪問してくることもあるが、仕方ない。隣の部屋の人間が自分の部屋に訪ねてくることも都会のマンションでもあるだろう(今はほとんどないだろうが)。
以上のように、町全体をマンションと考えれば、人と人の距離の近さに抵抗はある程度小さくなるのではないだろうか。

35:幸せになるのが怖い⇒他人と幸せを共有して恐怖に勝つ

自分は幸せになるのが怖いので、たまに色々なことがうまくいきはじめて、人生が上向いてきたとしても、つかみかけた幸せを意図的に手放して、わざと不幸になる選択肢を選んでいた。

自分の人生は、幸せになっても後に不幸がやってくるだけだから。幸せは不幸と不幸の間にごくわずかに現れた、普段と違う現象なので、あってはならない事だと思っていたからだ。最初から最期まで苦痛だらけの人生でしかなかったのに、急に幸せになるなんて怖い。どうせ長く続かないんだから今幸せを手放してしまおう。

「幸せ恐怖症」というものが存在するとインターネットで知った。まさか自分と同じ思いをしている人が居るとは思わなかった。

しかし、自分が幸せになった分だけ他の人にそれを分け与えればプラマイゼロなのではないか。わざと自分を苦しめる必要はない。意図的に自分から幸せをひく必要はないのではないかと思った。幸せを他人に返還すればいい。何らかの知識を知って幸せになったら、その知識を広めるとか。うまくいく方法を見つけたら、こうしたらうまくいくと共有する。恐怖は置いておいて、それに没頭する。こういったブログを書いているのもその一環である。

34:どん底人生の人間が中間くらいの人生になる方法

世の中には、中間くらいの人間が幸せになれるようなやり方が描かれた物が多い。しかし、どん底の人間が中間くらいに持っていく方法ってなかなか書かれてないですよね。自分は人生どん底の状態・世界の最下層の状態から普通・中間付近までもっていければそれでよくて、その方法が知りたいんですよ。「こうすれば幸せになる」と、幸せな人間に言われてもなぁ~それだけでどん底から幸せまでもっていくのって不可能なのでは?うまくいくのは既に幸せな人なのでは?と考えてしまっていた。

そもそも幸せになる方法なんて試さなくても幸せになってる人だっているじゃん。だから自分に幸せが降り注いでこないのが悪い。それに幸せになる方法とか試しても成功する確証もないし。

不幸のどん底から抜け出せない状態のままだったが、自分が幸せになる方法(人生をうまく過ごす方法)を考えて実行しようと思ったのは、どうせうまくいくことはないだろうから、「どんなに努力しても何もうまくいかなかった」という失敗談(不幸自慢)をネットでするためだった。だが、驚いたことに人生が以前よりうまくいってしまったので、不幸自慢をしなくてよくなった。

 

人生中間くらいを目指すための改善策

・他人と比較しない。他人に勝とうとしない。他人の目(評価)を気にしない。

他人と比較して負けていれば落ち込む。世の中は不必要な競争にあふれている。人の上に立っていたいという欲求が強いと、本来はしなくてもいいような競争に次々に挑んでしまい、そのぶんだけ負けの苦しみを味わう回数が人より多くなる。負けなかったとしても、負けたくないがゆえに難しい方法で勝とうとして、面倒事を増やし、そのせいで人生に疲弊する。(他人と比較して自分の嫉妬心を燃やして日々の活力にするという人も居るが、自分の嫉妬心をかなりうまくコントロールしない限りマイナスに働く。)
他人の目を気にしていると、他人からどう思われているのか不安になってくる。そして他人からの評価を上げようとする。他人の評価を上げようとすると、いつの間にか自分の人生の軸が他人に移ってしまい、本当にやりたいこともやれなくなる。そもそも周りからの印象を完全にコントロールすることは不可能なので、自分の人生は、自分のしたいことをやればいいはずだ。

失敗⇒反省⇒改善をしつこく自分の中で繰り返す

日常のあらゆる場面で、失敗⇒反省⇒改善をしつこく自分の中で繰り返すこともかなり有効だと思う。
仕事でその一連の流れを行っている人は居るかもしれないが、自分の場合は、友人関係や家族関係、日常の出来事についても行っている。
あらゆる失敗が人生の至る所で起きる。仕事だけでなく家族や友人間でのコミュニケーションミスなど、あらゆるところでのミスを、小さなことでも文字化して具体化して解決しようと心がけてみたところ、かなり効果があった。

失敗したら反省し改善して成長する。
「成長を目指す」なんて意識高い系の戯言だ。恥ずかしい。痛い。面倒臭い。そのように思う人もいるかもしれない。しかし不幸や苦痛の連続から抜け出すほぼ唯一の出口が、小さい失敗でも、ひたすら失敗⇒反省⇒改善という流れを嫌というほど繰り返して、少しずつ自分を成長させる(欠点を改善していく)事だ。
(よく成長成長言う人たちが存在するけど、彼ら彼女らは不幸から抜け出す手段として成長が一番だと理解して言っているんだろうか。当時は全く響かなかったけども。)そういう人たちとはルートが違うが、どん底の状況を経験したからこそ、今は成長(改善)の大切さを身をもって理解できている。
失敗⇒反省⇒改善さえめげずに毎日ひたすら癖のように繰り返していれば、それだけでとりあえず自分は前に進んでいる。自分が前に進んでいるなら、焦る必要はない。今どんな低い立場だろうがみじめな状況だろうが、他人の目や他人からの評価なんて気にする必要はない。自分が前に進んでいるなら、何も恐れることはない。今成功しなくてうまくいかなくても、以前よりは確実に前に進んでいけているのだから、世界の誰からも評価されなくても問題はない。

・他責思考を排除する。

グループ全体で何かしらの問題が発生した時に、すぐ「誰々のせいだ」と心の中でなすりつけてしまうのではなく、とりあえず自分の責任だと仮定して、自分は何ができたかをまず最初に考える。自分由来の原因は完全にゼロなのか。自分が原因だったらそれを改善すればいいし、他人の失敗だとしてもその人はどう対応すべきだったか考える事で、自分が未来で起こすかもしれない失敗をも防ぐことができる。日頃から余裕があれば他人が起こしてしまった失敗(仕事場の失敗だけでなく、ニュースで話題になった事件とか)についてもどうするべきだったか考えるのもいいと思う。

・何か出来事が起こった時の捉え方(考え方)を変える

「物事は捉え方(考え方)次第で小さなことでも幸せになる」とよく聞くけれど、そんなに劇的に変わるとは思えなかった。捉え方なんて小手先のごまかしに見えて、考え方を操作して、大した事じゃない事で幸せに感じた所で、わざわざそんな操作を挟む自分にむなしくなるのではないか。そもそも大した幸せじゃないじゃんか。物事のとらえ方どうこうでなく、誰もが幸せに感じるような幸せが自分に降りかかって、それで幸せを感じたい。皆と同じ量の幸せが降ってこないから不公平だ。
しかし捉え方(考え方)を変えるというのは人生の不公平を中和する方法である。
捉え方(考え方)操作の積み重ねの連続で感知できるようになった幸せと、捉え方操作なしの幸せの違いなんて、実際幸せを感じてる瞬間はどうでもいいと思える。どっちも同じようにプラスだということ。これは特に理解してほしい。自分で(考え方を変えて)作り上げた幸せと空から降ってくる偶然の幸せは完全に同じであるという事だ。
プラス思考をクセにすれば幸せに感じたり楽しく感じる事が多くなる。
※プラス思考というのは、とっさに浮かんだ自分の考え方や感じ方をを理屈でプラスに持っていくということで、楽観的・能天気になるという意味ではない。

他人との比較、人より上に立ちたいという欲・プライド・嫉妬心、他責思考、これら全部捨て去ることは、人によってはかなり難しい戦いで、自分の弱さや汚さを認める作業なので、苦しいし抵抗したくなるけど、これらを捨てると、最終的には以前と比較にならないほど穏やかな気持ちで過ごせるようになる。これらの考えが強ければ強い程、徹底的に今までの考えを壊して完全にゼロから脳をつくるくらいの大作業が必要になる。結果的に自分は大作業をして考え方を変えられた。1年はかかるかもしれない。他人との比較、人より上に立ちたいという欲・プライド・嫉妬、他責思考――これらの考えを全部捨ててゼロから脳をつくりかえる作業こそが人生だったのでは、とすら思えてくる。

統計を取ったわけでも何でもないのだが、実際身の回りに起きる出来事を考えていくと、毎年自分に訪れるのは「幸:不幸」=「1:9~2:8」くらいのように感じていた。毎年こんな人生でよく生きていけるなと思っていた。10歳の頃から31歳まで、何度も何度も人生を自分で終わらせようとして踏みとどまっていた。

上に何点か挙げたことは、いずれも全て脳を操作する事(考え方を変える事)、だけだ。
仕事で高い地位になったわけでもない、多くのお金を稼いだわけでもない、仲のいい親友ができたわけでも、恋人ができたわけでもない、それにもかかわらず、ゼロから脳をつくりかえる作業をした後である去年は、明らかに人生がいい方向へ向かい、まさに幸・不幸の比が同じくらい「幸:不幸」=「5:5」くらいに感じた。(今年は終わってないのでわからないが。)こういうのが普通の人の人生なのか。考え方だけで世界が変わって感じるのは不思議だが、以前とは比較にならないほど穏やかな気持ちで過ごせている。

33:プラス思考 自分の脳をだますには

水槽の脳

水槽の脳=自分が体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないかという仮説。(wikipedia日本語版から拝借)

あるとき、水槽の脳という考え方を目にした。(今回はこの仮説の中身について言うわけではない。)この図を見た時、自分と他人の人生に、とてつもなく大きな幸・不幸の差があったとしても、結局自分の脳をだまして生きていけたら幸せに感じる事ができるのではないかと思い立った。

自分の脳をだます

まず、考え方を変える。ある現象が起きて、自動的に浮かんでくる感情や考えに対して、一呼吸おいて、本当にそうだろうかと見つめなおし、プラス思考に持っていく。これをクセにするのは極めて効果的で、うまくいけば非常にストレスが少ない状態で生きていける(可能性が高い)。プラス思考というのは、自分の考え方を理屈でプラスに持っていくということで、決して楽観的・能天気になるという意味ではない。

プラス思考の例

悪いことが起こったとしても、「最悪な状態よりはマシ」「逆に(それほどタイミングが悪くない今)これが起こってよかった」と考える。

失敗して落ち込むと集中力が落ち、また違うミスをすることもある。一つ失敗しても「二次災害だけは防げたので、最悪に最悪を重ねるのは防げた」と考え、そこだけは良かったと自分をほめる。

誰かの言葉・行動を不快に感じたら時、嫌な気持ちで自分を満たされる人がほとんどだ。しかし、自分がそうならないように自分の言動を見直そうと考える。「自分が自分の言動を見直すことで、周囲から反発される可能性を減らせた」とプラスに考える。

自分の人生では最初からこれが起こると決まっていた」と考え、うまくあきらめるのもいい。

他には...
わずかなプラスの出来事にもわざと喜ぶ。
空が晴れている ⇒ 空がきれいでいいなぁ
風が吹く ⇒ 風が気持ちよくていいなぁ
そうすることで、今まで気づかなかった些細なプラスを感知できるようになる。そうすればどんどん身の回りにプラスのことが増えていく。

32:仕事場で流れる歌やBGM

・仕事場で流れる歌やBGMについて

売店全体に言えることだが、ずっと同じ音楽を流してる店を苦痛に感じる人もいる。そう感じる人は、同じ曲ばかりを流している店舗をアルバイトや就職先に選ばない方がいい。店の特定のテーマソングがあると延々と同じテーマソングを聞かされることになる。テーマソングがなくても、数曲を無限ループにしている店もある。防衛方法としては、店舗に何回か行って、同じ音楽が流れているかどうか探るくらいしかない。

仕事が終わってからもずっとBGMが頭の中で流れるし、その曲を聞いた瞬間に、休日なのに仕事を思い出したりする。頭がおかしくなるくらい苦痛に感じる人が居る一方で、気にしない人は全く気にしないので、仕事し始めて、BGMが苦痛に感じると上司や同僚に相談しても「仕事に集中してないだけ」とあしらわれ、全く理解されないことも多い。

好きな曲が流れている場合、悲惨なことになる。嫌なバイト先でずっと好きな曲が流れていると、その曲を嫌いになってしまう可能性がある。そしてその嫌悪感は仕事を辞めてからも消えない。

嫌なことがあった時に家で好きな曲を聴いて気分を向上させよう、気を紛らわせようといつも同じ曲を聞いている人がいた。こういった気の紛らわせ方をする人は結構いると思う。嫌なことがあった時に元気になるために好きな聞く、しばらくそれを続けていた。しかし、ある普通の何でもない状態の時にその曲を聞いた時、曲と共にたくさんの嫌なことを思い出してしまった。そしてその好きな曲を聞けなくなってしまい、今もなお、ずっと好きな曲を聞けない状態が続いているという悲しい体験談を聞いたことがある。

感情と感覚器官の連携はとても強固だ。おそらく永遠に消えないかもしれない。
自分は14年経っても、ある曲と嫌な出来事が強固に結びついて、聞きたくなくなっている。まあ好きな曲というわけではないからまだよかった。
だから好きな曲は嫌な気持ちではない時に聞いたほうがいい。

31:ADHDグレーゾーンの職の選び方

どんな仕事がいいのか?
色々な種類の仕事に就いて辞めた経験から、「この仕事がいい」ではなく、まず「この仕事はダメ」ということでリストアップしていこうと思う。

飲食業は絶対にオススメしない。

飲食業のほとんどは、たくさんの客に接することで利益を大きくする会社(薄利多売の会社)だから極めて忙しい。忙しいとパニックになり脳が回らなくなる。ミスも出る。どんなにインプットに時間をかけてもアウトプットにかけて許される時間は数秒だ。接客業全般に言えることだが、理不尽なクレームがある。他人の失敗もたまたまその場にいる自分が謝る羽目になることもある。

自分の飲食業経験談ハンバーガー店):17:ファストフード店の仕事は難しい - 苦痛脱却帳

接客業だとしても、厚利少売(車や宝石のような利益の大きなものを少人数に売る仕事)であれば考えてもいいのではないかと思う。自分は車や宝石に興味がないのでできないが、それに売った金額で評価される厳しい世界でもあるだろう。しかし一般的には薄利多売より厚利少売の仕事のほうがマシと言われている。

中古買い取りショップ』:上と同じく接客業である。中古ショップは買い取り作業が極めて難しい。せっかく商品位置を覚えても中古ショップなのですぐ場所が入れ替わってしまう。(TSUTAYABOOKOFFとか。)自分は普通のスーパーやコンビニだとしても、物の位置を覚える自信がないので仕事には選べない。

自分の中古買い取りショップの経験談18:アニメショップ店員になるも誰とも仲良くできず仕事を全て任せられる嫌がらせを受ける - 苦痛脱却帳


個別指導塾講師』:これも接客業である。学力がないといけない(自分にはなかった)。一対一で自分主導で45分間会話を続ける能力が必要(これも自分にはなかった)。多少自信がなくても堂々としている必要がある、これも難しい。個別指導塾講師の経験談:このページの3見出し目後半⇒15:就職面接直前に過呼吸で辞退 その後別の場所に就職するも記憶喪失状態になる - 苦痛脱却帳←の3見出し目後半
コールセンター』:これも接客業といえる。客のクレームが苦痛だ。怒りたいだけ、相手を屈服させたいだけで1時間くらい電話を続けるクレーマーも居る。精神が持たない。

建設現場』:基本的にだれでも面接に合格できる。ヤンキーばかり。無視、威圧、嫌がらせなど職場環境は極めて悪い。建設現場仕事の経験談11:一日でやめた建設工事現場のアルバイト - 苦痛脱却帳


農園作業』:単純な作業の連続なのはよかったのだが、苦手な虫がたくさんいるのでつらかった。特に、木にクモがわんさか居てダメだった(クモの巣を張らずにずっと動き回ってる)。←虫が苦手でなくて、暑い寒いといった気温変化にもなんとか対応できる人はオススメ。ラジオを聞いたりして比較的マイペースに作業できる。


★オススメの仕事1
運送系の倉庫内作業の仕事。郵便局・ヤマト運輸・佐川急便などの配送業社で、トラックやバイクでの配送仕事ではなく、倉庫内(局内)で行先別に仕分ける「仕分け作業(区分作業)」を選ぶ。荷物の積み上げ方はパズルのようで、これは少し難しいかもしれないが、覚えることは比較的少ない。重い荷物も多いので体力が必要でもあるが、お中元(7~8月)・お歳暮(11~12月)の時期だけとか、旬の果物の収穫・発送繁忙期の2~3か月間だけ短期雇用で募集している地域もあるので、そういった期間限定で仕事を体験してみるのもいいかもしれない。例えば、りんご、さくらんぼ、みかん、ぶどう、等の旬の時期にその地域の運送業者の仕分けの仕事を選ぶと、その荷物ばかりになるので、体力的に楽である(りんごは少し重いかも?)。地元に軽い果物や野菜の繁忙期があればいいのだが。お中元・お歳暮も、他の一般の荷物に比べればそこまで重くないものが多い気がした。また、冷凍商品は軽いものばかりだし、冷蔵商品だと、ワインや酒が出ない限り、そこまで重い荷物はない。冷凍・冷蔵担当を選ぶのもいいかもしれない。郵便局は「ゆうパック」以外は常時軽い荷物が多く、箱で発送するのでパズルのように考えなくてよい。


★オススメの仕事2
ピッキングや梱包の仕事もオススメだ。同じ動作を繰り返すだけ。ピッキングというのは、(空き巣がカギを使わずに開ける犯行の方ではなく)倉庫や工場に保管された商品を、伝票やリストに従って集めていく作業だ。大抵は棚に番号が振ってあるので、物の位置は覚えなくていい。梱包も技術はほとんど必要のない仕事だ。(ピッキングと梱包はセットになっていることも多い。)

自分が長く続いた仕事は↑のオススメに書いた2種類の仕事しかない。
これらはいい仕事だと思います。

以上。