苦痛脱却帳

苦痛や不幸から抜け出す方法を書いていきます

(再掲)中高生は入学式・クラス替え直後の数日間が最重要

中学生・高校生は、入学式(クラス替え)から数日で、これから1年間一緒に行動するメンバーを自分で選び、決定し、毎日一緒に行動しなければならない暗黙のルールが存在するようだ。


私はその明文化されていない共通認識を知らず、最後まで理解することもできなかった。結局仲良しグループで行動した経験は人生で一回もない。

 

中学や高校でよくまわりを観察すると、いつも一緒にいるメンバーは固定化されているように見える。でも自分は、必要な時だけ一緒に居て、毎日一緒にいる人が変わっていってもいいのではないかと思っていたので、友人グループをつくることなく、全員に対等に接していた。

 

しかし、グループに属することなく、全員に対等に接すると「ウザい」と思われるらしい。結果的に距離感が異様に近くておかしいというように思われ、結局誰とも仲良くなれない。浮く。それで学生時代失敗してしまった。

 

一般的な、普通の中学生活・高校生活を送りたい場合は、入学してすぐ(クラス替えしてすぐ)、初日・2日目とか、判断は早ければ早いほどいいが、これから一年間一緒に行動するメンバーを自分で選んで、決定し、グループの一員にならなければならない。これは誰も教えてくれない。学校の先生も親も、誰も教えてくれないが事実だと思う。

 

一緒に行動するグループの人数は2~4人。これは何人がいいとかはない。ただ2人グループはあまり多くなかったかもしれない。3~4人が多かった。5人・6人のグループはよっぽど中心人物の求心力が大きい場合でないと維持できない(自然に分割される)。

 

一緒に行動するメンバーは、基本的には同じ部活の人になる。もしくは席が近い人。これもどっちがいいとかはない。(中1なら同じ小学校の人を基に人間関係を広げていくことになるかも。)(2年生・3年生の場合、部活の人間関係が既に決定してる場合もあるので、難しい場合は選択肢から除く。)気が合いそうな人、席が遠い人でもいい。もしくは、あえて言葉をとりつくろわずに言うと、だいたい同じ容姿レベルの人。(人を顔で判断するなというが、実際グループ化している集団を見ると、全く容姿レベルの違う人が同グループに入っている例はものすごく少ないというのは薄々みんな感じてると思う。)自分は他人を容姿で判断するのが嫌でグループに属しなかったというのもあるけれど、そんなきれいごとを言っていられないのが、厳しく長い学校生活だ。すぐ浮いて、いじめにあう可能性も高めてしまう。

 

中学生・高校生のみなさんはこれから本当に大事な4月を過ごすことになると思うが頑張ってほしい。まず話しかけてみよう。何で話しかけてくれたの?と聞かれた時「同じ部活だから話したいと思って」と正直に言ってもいいし「話しかけたかったから!」「特に考えてない(笑)」とかでごまかしてもOK。とにかく自分のクラス内で何らかの友人グループに属することを第一目標に生活してほしい。

 

以上

47:発達障害の生き方(覚え書き)

誰にでも少しはあるような傾向が極端に出るのが発達障害
「忘れ物やミスが多くずっと直らない」「電話で聞いたことはすぐ忘れる」…など。
なかなか理解されないので苦しいことが多い。
以下、障害者職業センターで学んだことに自分の気づきを追加したもの↓↓

・ペース配分を考えるより先に、最優先事項にまず取り掛かる
・今日は50%のコンディションしかないから出来ないではなく、50%あるから半分は出来ると考える。
・いつのまにか目先の事だけに集中しすぎて、細かいことにこだわりすぎていないだろうか?状況は時間の経過とともに変わっていくものなので、どっしりと構える。
・完璧を目指すのではなくまず終わらせる。そのために、期限の半分の時間で半分まで終わっているか、ペース配分をチェックする。

 

日常会話の注意事項

▽話し方
・相手の会話の間(ま)や、タイミングを計って話しかける。
・なるべく相手の視線内に入ってから話しかける
・自分の事を話すぎない
・一方的に話をしない
・相手が傷つくような言葉は避ける

▽聞き方
・あいづちをうつ
・質問してみる
※無理に会話に入らなくてもよい

▼GOサインとNO-GOサインを見極める
GOサイン…話かけていい状態、話を続けてもいい状態。
NO-GOサイン…話しかけてはいけない状態、話を続けてはいけない状態。

▽GOサイン
・相手がこちらを向いている
・視線を向けている
・ニコニコした表情(険しい表情ではない)
・返事やあいづちを返してくれる
・相手に聞こえる声、少し大きめ、高い、明るい、はずんでいる声

※GOサインかNO-GOサインかの判断が難しい時は、「今話しかけても大丈夫ですか?」と相手に聞くとよい。

 

ストレス発生のプロセスと対処の仕方(コーピング)
ストレッサー(きっかけとなる出来事・刺激)がストレスに直結してるわけではない

きっかけとなる出来事・刺激(ストレッサー):自力克服、相手に働きかける、逃げる。

出来事に対する評価(受け止め方):考え方を変える

心身に生じる変化(ストレス反応):睡眠・休養・ストレッチ・リラクセーション・自律訓練法、まわりの人(家族・主治医・友人)の支援。

 

 

46:日常生活用覚書

昔つくった日常生活用の覚書を載せる

 

感謝:何かやってもらったらありがとう←例え相手が求めていなくとも
謝罪:謝罪はすぐに

忙:相手に話しかけるときは忙しいかどうかを確認
声掛け:近くを通り過ぎるときは声掛け 外出はなるべく日時を明確に 
報告:細かいことでも相手のためになるべく報告しておく
具体化:指示語は具体化する。「これ・それ・あれ」「ここ・そこ・あそこ」は勘違いの元。再確認。

音:自分の出してる音が邪魔になっていないか(足音、ビニール音、紙を丸める音、歯磨き(髭剃り)ドライヤー、PC操作音、ペンを鳴らすカチャカチャ音)
見回し:自分が作業している場合、周りのモノや自身邪魔になってないか確認。

公平:先輩でも後輩でも年上でも年下でも男性でも女性でも関係なく公平に接する
事実:悩み相談時には事実だけを伝える(感情論は入れない) 
理由構築:自分の行動の理由を常に構築しておく(なるべく全て)。なんとなく行動すると失敗した後に行動を改善しにくい。

確認:細かいことでも確認する。
細かいことの確認作業をせずに、まあこれでいいだろうとの認識で物事を続けていると、いつの間にか相手のストレスや嫌悪感が溜まっている場合がある。人間関係はささいな事の積み重ねで破綻することが多い。それをコミュニケーションで防ぐ。

最大の問題は、全く問題ないから指摘しないのか、問題があるが影響が小さいから指摘しないのかが全く分からない事である。それに言いづらくなっていることもある。

問題があるかどうかをこちらから汲み取るために、質問する時に細かいことだけど~と前置きすればよい。

以上

45:ブログを始めてちょうど1年/チャック操作のネクタイで結ぶ時間が45分→1分に

ブログを始めてちょうど1年

先ほど気づいたが、ブログを始めて今日でちょうど1年が経った。最初の記事を若干修正した。↓

新人の職場の人間関係構築方法(2024-02-22更新) - 苦痛脱却帳

2024年2月22日現在、仕事関係・家族関係・忙しさなどが色々落ち着いた。仕事は2年間続けることができていて、最長記録だ(今までの最長は1年1か月)。

当時いつも通っている精神科(心療内科)の先生に採用が決まったというと、自分がなるべく長く続けられることを目標にと励まされ、「どの会社にも合わない人はいる。いないとしたら自分が見えていないだけ。」と声をかけてくれた。実際そう感じる。

仕事が初めてうまくいってわかった事は、仕事できるかどうかよりコミュニケーションをうまくとれるかどうかの方が大事だということだ(コミュニケーションも仕事の一部ではあるのだが)。仕事ができるに越したことはないが、仕事できなくても好かれる人は多いし、仕事ができるのに嫌われる人も多い。人間関係の全てはコミュニケーションなのではないかと、重要性を再認識した。

チャック操作のネクタイで結ぶ時間が45分→1分に

話は変わるが、法事か年明けの挨拶かお盆だったかに、親戚のひとりがスーツであいさつに来た時があった。その時にネクタイをはずす姿を見て驚いたのだが、ジジジジ…という音とともに結び目が下りてきた。そのネクタイは、結ばれているように見えて、実際は単にチャックを後ろで上げ下げするだけで、簡単につける・外すが操作できるものだった。自分はてっきりネクタイは必ず結ばなければいけないと思っていたので革命的ものだと感じた。すぐにAmazonで検索すると、チャック付きネクタイ(ワンタッチネクタイと言うらしい)が売っていたのですぐに購入し、結婚式用・葬式用・普段用を一通りワンタッチネクタイで揃えた。自分は不器用で説明書があっても他人の3倍くらい時間がかかる。ネクタイを結ぶのも苦手で45分くらいかかった時もあったと記憶している。それがチャックを上に引き上げるだけで終わる。ストレスが全くない状態で装着できるので、大変ありがたい。今も機会があればワンタッチネクタイを利用している。

44:家族のこと

1月下旬に父親と揉め事が起きてしまった。
父がインターネットの設定を突然変えて、それによりインターネット回線が使えなくなり、八つ当たり的な言葉を投げかけられた時に、自分が言い返した事が原因だ。父自身が家族との別居を考えるほどで、話し合いは3日間続いたが、なんとか収まった。父とは子供の頃からずっと折り合いが悪い。それでも自分のできるほぼ最大限の配慮をしてはいるつもりだ。自分は家の中でも常に仕事場と同じくらい緊張感を持って過ごしている。
インターネットが復活した後も、家族が新型コロナに感染したり、自分の外出が続いたりで更新が1か月も開いてしまった。もし心配してくれている方が居たら申し訳なかったです。

今までブログに書いてはいなかったが、自分には1歳下の妹がおり、妹は最重度の知的障害を持っている。声(音)は出せるが、会話が全く成立しない。IQは一桁(通常このくらい低ければ測定不能になるが医者が算出してくれた)。目は見え、耳は聞こえるようだが、数や言葉を理解できない。立つ・座る・歩くはできるが、食事・着替え・排泄は誰かにしてもらわないとできない。機嫌が悪くなると、自分の出せる最大の声量で泣き叫び続ける(長い時は1時間程度)。自閉症も併発しており、てんかん発作も昔はよく起きていた。今は障害者年金をもらい、施設に通っている(9:00-16:00)。あまりにも障害が重すぎて、必ず大人一人が付き添わないといけないので、ほぼ全ての障害者施設からも入所が断られたが、いまの施設でなんとか受け入れてもらっているという状況だ。

母とはうまく関係は築けている。

1人が知的障害、自分が発達障害グレーゾーン(4人家族)であるため、大変な状況であると思われるかもしれないが、兄2人が共に知的障害、自分は精神障害という人に会ったことがあるので、複数人が何らかの問題を持つという家庭はそこまで珍しい事でもないかもしれない。

43:ADHDグレーゾーン的日常生活の失敗と改善/就職面接に間に合うための対策

ADHDグレーゾーン的日常生活の失敗と改善

風呂のお湯を貯めるボタンを押すのを忘れてしまう。「服を脱いで浴槽のふたを開けたらお湯が溜まっていなかった」という出来事が1週間に3回起きた。このように今まで数年間は問題なくできていたことが突然できなくなることがよくある。
1回目→(今まで問題なくできていたし)次は間違えないだろう。
2回目→また同じ事を間違えてしまった。今度こそしっかり注意して風呂の湯を貯めよう。
3回目→さすがに問題がある。
ということで改善策を考えることに…

作業手順をナンバリングすることにした
1:浴槽の栓を閉めて、「1」と声を出して栓を指さす。
2:お湯を入れるボタンを押し、「2」と声を出してボタンを指さす。(ボタンを押すだけで自動で温度が調整されるシステムである)
3:換気のために開いている窓を閉じて、「3」と声を出して窓を指さす。
4:風呂のふたを閉め、「4」と声を出して風呂のふたを指さす。
これを実行してからは、今まで2か月間はミスが発生していないのでこのやり方を続けていこうと思う。

睡眠時間が遅くなる
朝は6:00に起きるので、夜は0:00(24:00)には寝ていたいと思っている。しかし0:00に寝る予定が、1:30だとか2:00になってしまう。仕事が終わり家について食事と風呂が終わると19:30くらいになる。寝るまで4時間半も時間があるのだが、どうしてもやることが増えてきてしまい、0:00まで終わらなくなるのである。

就職面接に間に合うための対策

今まで時間に余裕を持つことで絶対に遅れてはいけない場面をなんとかクリアしてきた(失敗したこともあるが)。
例えば10:00に面接があるとする。(早く来すぎても迷惑なので)9:50~9:55の間に「面接に来ました」と担当者に告げる。そう考えると9:30には建物のすぐそばには到着しておきたい。家から建物のすぐそばに到着するまで1時間かかるのであれば、8:30に家を出る。交通事情を考え15分の余裕をもつとして8:15に家を出ると仮定する。
ここから余裕時間をどれくらいとるかは人それぞれであろうが、自分の場合は+2時間余裕を持つことにしている。自分は何かと遅れ気味になってしまうからだ。それゆえ6:15に家を出ることになる。かつて余裕時間を+1時間とることにしていたのだが、余裕がなくなりギリギリになった経験があったので、さらに追加で1時間の余裕を持つことにした。
6:15に出発。いつもは起床から家を出るまで30分程度で済むが(その場合5:45起床)、面接の日は家を出るまで、これも2時間と考えて、起床は4:15。荷物は確実に前日のうちに全て準備して、前日のうちにスーツ・ネクタイ・革靴等は必ず一通り着用してみてはいる。しかし、スーツを着る、ネクタイをつける等普段は行わない作業もあるし、その日だけ寝癖がなかなかとれなかったり、その日だけフケが出てしまいシャワーを浴びなおしたり、トイレに時間がかかる可能性もある。
しかし「余裕時間があるので大丈夫」だという考えは一切捨てるのが大切だ。ADHDの場合、余裕があると考えると途端に動作スピードが緩まったり、今する必要のない事を始めてしまうからだ。家を出るまで一切の気を抜かず着実に準備を進める。4:15に起床してから順調に用意ができても早発はしない。たとえ5:30だとか5:45等に家から出れる準備ができても、早く出発はせずに、当初の予定通りの6:15の出発時間まで待って出発(早発しても待ちくたびれるし、家で面接の練習や資料読みをした方が集中できるからだ)。6:15に家を出て移動時間が1時間、つまり7:15に建物付近に到着するのが理想となる。あくまで7:15に到着する事を目標として行動する。ここでも「余裕時間があるので大丈夫」だという考えは一切捨てることを心掛ける。
⇒余裕時間を2時間とっているとだいぶ余裕があり、自分の遅れはさすがにその幅に収まる。-10分、+15分、+30分という具合に目標時間からずれる事はあるが、さすがに2時間の幅に収まる。2時間の余裕時間内の過ごし方は、駅の近くの飲食店等で面接の練習(面接のために用意した資料を読む)をして面接地に向かうと言うのがいつもの流れである。ハンバーガー店で1時間→コーヒーショップで1時間など。

上記を参考に、睡眠目標時間の0:00(24:00)から2時間余裕を持ち、22:00に寝ることを目標に掲げて生活をしているが、全くうまくいっていない。しかし寝る時間がAM2:00のように大幅に遅れることは少なくなり、だいたい0:30~1:15の間には寝ている。それでも睡眠不足であることには変わりないのでどうにかしたい。今年改善したいことの一つだ。

*反省

年が明けた。
今年初めての記事は年明けすぐ(1/1か1/2)に書きたかったが、遅れてしまった。反省。

シフト制だと、新年のあいさつをメンバー全員にするのも一苦労だ。部署Aの7人、部署Bの10人、部署Cの6人。なかなか出勤日が重ならず、出勤4日目でようやく全員と新年の挨拶を交わすことができた。
自分はメモをしておかないと、誰に挨拶したかというのは100%忘れるので、必ずメモを持ち歩き、挨拶したらチェックしている。

記事は4日に一回のペースではなく、6日に一回程度のペースにしようかと考えている。4日に一回はほとんど守ることができなかった。書く話題がなくなってきて、文量を膨らませるのが難しくなってきた。しかしまだ書きたいことは10以上溜まっている。それを書いているうちに新しい話題が生まれてくるだろうから、しっかり更新していきたい。

42:仕事の人間関係の修復

自分仕事と並列の仕事をしている10人については以前に書いたが(38:記憶喪失状態 再び)、自分の仕事の上流の作業をしている人々というのも存在し、メンバーは7人いる。

仕事に就いて2か月頃(2022.4頃)に上流メンバーとの間にわだかまりが発生した。自分は上流メンバーと仕事の情報交換のために、毎日のようにリーダー(A)に話しかけていた。しかしリーダーのAにばかり話しかけることに対して、Aと仲がいいBが嫉妬したのである。A・B共に男性、Aは33歳、Bは34歳(だったと思う)で、AとBは仕事中も休み時間中も常に一緒にいる。BがAから一瞬たりとも離れることがない。それでいるのに、自分が情報交換相手に必ずAを選び、Aにばかり話しかけていた。どの現場でもリーダー以外は今日の仕事内容について完全に理解が行き届いてない場合も多いので、必ずリーダーと話すと自分が決めていたうえ、Bの話す内容が極めてわかりにくく、さらにBは重要な事でも勘や自身の予想で答えることも多かったゆえである。しかしAとBが一緒にいるのにも関わらず、一方(A)にばかり話しかけたせいで、Bは自分が信用されていないと思ったり、自分とAが切り離されるような思いがして不快に思ったのだと思う。これでBとの関係が悪化し、Bからは一切話しかけてこなくなった。あいさつも返ってこなくなった。

関係修復のために、Bにもこちらから週2のペースで話しかける事に決めた。重要ではないような質問や、答えがわかっている質問や、仕事以外の話題を話した。最初の頃は反応が極めて鈍かったが、笑ったり、大げさにアクションをしたりすることで、なんとか平常な関係までもっていくことができた。今はあちらからも話しかけてくれる関係になっている。
今はいい関係を築けたのだが、今でもAにだけ話しかけると「今なんて話してたの?」と、必ずBはAに聞いている。自分はA・B均等に話かけるようにしているので、以後問題は発生していない。↓の注意点として、「リーダーと非常に仲がいい人間に対しては同じ頻度で話しかける」を追加しようかどうか考えている。

新人の職場の人間関係構築方法
>(3)質問は基本リーダー格に
重要度:★★★★★
ほとんどの人はリーダーの指示に従って動いているので、質問は直接リーダー格の人にした方が、正確な情報を受け取れる。他の人に聞くと又聞き状態になり、微妙にリーダーの本来の指示と違う答えが返ってくることもある。リーダーから一番下まで完全に正しい情報を共有している職場は少ない。新人のうちは直接リーダー格の人に質問して答えを聞くのがいい。

41:小学校教師から嫌がらせを受けた話

小学校の行進練習で晒し上げられる
小学1・2・3・4年を担当した担任の先生とはとてもいい関係を築いていたのだが、小学5・6年の担任教師とは、全くうまくいかなかった。自分は歩み寄ろうとしていたつもりだが、全て無駄だった。相手(教師側)が一切その気はなかったようだ。自分は当時、小学2年の頃から塾に行っていたので勉強の成績はよく、学年で1位をとることも多かった。担任教師(女性)は、(特に男子の)運動ができるタイプが好きなようで、それが癪にさわったのかもしれない。授業中挙手してもなかなか当てられず、まわりの人と笑顔で会話していても、自分との会話する時だけ急に表情が真顔に変わる(今でもその真顔を覚えている)。それか嫌なものを見ているように眉間にしわが寄った顔をする。三者面談や家庭訪問の時だけ、人が変わったようにいい顔をする(その時だけは自分に何度も笑顔を見せた)。本当にこんな信用ならない大人がいるんだと驚いた。

終業式か卒業式の練習の時間だったかと思うが、体育館(おそらく25m×35m程度の広さ)で行進の練習をすることになった。いい行進を見せれば早めに練習が終わるシステムだった。26人全員で行進をし始めて、一周した後に教師に名前を呼ばれた人は行進の集団から抜けることができる。そして座って他の人の行進の練習を見つめる。自分はなかなか名前を呼ばれず、前を歩いている人のコピーのように歩いていても、前の人だけ先に名前が呼ばれて、自分の動きの何が悪いかわからない。15人、10人…どんどん人数が少なくなり、焦りが出てくる。「腕を大きく振って」「視線を前に向けて」といった指示に応えて修正していたのだが、アドバイスがそれくらいしかなく、6人、4人…と減るも一向に名前が呼ばれない。ついに最後の最後まで名前が呼ばれず、最後の何周かは、何が悪かったかアドバイスもなく「もう一回(一周)」とだけ言われ、何周も何周も同級生の前に晒し上げられた。早い人は体育館4~5周で合格していたように思うが、自分は20周はさせられたのではないかと思う。みんなの視線を浴び、何が悪いかわからず行進させ続けられて、恥ずかしさと悔しさで泣きたくなった。地獄のような時間だった。

陸上のタイムを都合よく並び替える教師
(40:人と目を合わせられない/小学生時代に活躍してほしくないと言われた)に記述したが、小学5年の終わりか小学6年の初めの頃から、自宅の近所をランニングし続けていた。ド田舎の小学校で、1学年はわずか26人(男13女13)だった。小学6年の持久走(1000m)タイム測定で、前回まで男子13人中10位~12位だった自分が、突然13人中2位をとった。練習の努力が実り成果が出た。

自分が持久走で2位をとった後に地区の陸上大会があった。陸上大会では複数の小学校が集まって対決する(おおよそ男子90人・女子90人)。持久走の走る組と並び順は事前に各小学校で計ったタイムで決まる。しかし、担任の教師は自分の小学校で出た2位の人間と3位の人間を勝手に入れ替えたのだ。計測タイム自体を操作して届け出たわけではなく、2位のタイムはお気に入り児童Aが出したタイムとし(本来は自分が出したタイムなのに)、3位のタイムは自分が出したことにされていた。(これ以降はお気に入り児童はAと呼ぶことにする)
あのタイム測定の日に、自分が2位でゴールした直後に後ろを振り返って見ていたら、3・4・5・6位がほぼ横一線での同タイムゴールだったので、普通に考えれば陸上大会でもその4人(3位~6位のメンバー)は並びのはずだったのだが、90人全員の名前が載っている出走表(出走表というのが適切な言葉なのかはわからないが)を見た時、4人の並びの中になぜか不自然に、離れてゴールした自分がはめ込まれていた。この教師が不自然な入れ替えをしていることは、3・4・5・6位のメンバーが横一線のゴールだったことと、1位~6位のメンバーを自分が覚えていたからわかったことだ。ちなみにAは全く気にしていなかった(自分が有利になるだけだから関係なかったのだろう)。

持久走は30人くらいの集団でスタートする。男子90人は3組に分けられ、自分もAも一番早い組に入った。その組の中でも、タイムの早い順で陸上トラックの内側から出走できるのだが(前列15人後列15人)、自分をなるべく不利な外側に、Aを有利な内側にしたかったのだろう。小学校では順位の差はたった1でも、陸上大会では、当然自分とAが隣なわけではなく、タイムの差により、自分とAとの間には他の学校の複数の選手が入り込んでおり、損の幅は大きい。自分のお気に入りの運動の得意なAが、こんな嫌いで運動のできないはずの児童に抜かれたという事実が許せなかったのかもしれない。
この順位操作には、何日間も何週間も何か月も悔しいし腹立たしい思いだった。しかし最終的にはこの教師と関わるのが面倒だったので何も言わなかった。問題を指摘し、この教師と対決することになったら、負けてしまう。それに教師とその対立状態を維持するなんてことは小学6年生にとってはものすごく大変な事である。どうすればいいか一人でかなりの時間をかけて考えた結果、何も言わないことに決めた。(たぶんこの時指摘していたとしても、自分が2位だったという証拠がない(写真・紙資料)。それに「総合的に考えてこれがいいと思った、前の記録と合わせた、もう提出したから変えられない」などと逃げるだろうと思う。)
なぜ当時の状況を詳しく覚えているかと言うと、その操作された当時の出走表を持っているからである。自分は小学校~高校までのすべてのおたよりや学校からの配布物を保存しているので、その出走表を見た時に思い出した。

教師、最後の悪あがき
当然この教師とは全く関係が改善しないまま終わった。そして最後、小学校卒業後の最後の登校日にも何か自分にトラウマを植え付けたいと思ったのだろう。最後の帰りのあいさつが済み、帰宅していい状況になった。最後に小学校の教室で使わなくなったもの(壁の張り紙・図工の工作の残り物・レクレーション活動(学活)での残り物等)を集め、教師が「好きなものを持って行っていい」と宣言したことにより、まだ教室に残っているたくさんの人が集まってきた。自分も何か面白いものがないか探しながらも、教師が隣に居たので、自分が「これもいらないものですよね?(持って帰っていいんですよねの意味で)」と聞いたら、急に「いらないものだなんてひどーーい!」と教室に響くような大きな声でヒステリーのように騒ぎだして、わざとすごく悲しい顔をしてきたのである。しかしこの時はもう関係が悪化したところでもう会う事はないので、かなり心の余裕がある状態で接することができた。反応の大げさっぷりに呆れた。そのあとどんな会話になったが覚えてないが、「誰も持っていかなかったら捨てるものなんですよね」というようなことは言った気がする。
周りの人はどういう反応をしたのかと言うと、自由に持って帰っていいものの争奪戦(じゃんけん)をしていて相手にしなかったり、先生関係なしに帰ったりして、一人も反応しなかった。自分は周囲の無関心っぷりに救われた。こいつを責めよう!と教師が旗振り役をして大きな声を出して、みんなその声が聞こえてるはずなのに誰も教師の味方にならない――本当にこの教師は皆に好かれていたんだろうか。他にも特定児童への贔屓っぷりにうんざりしていた人はいたのかもしれない。それか責め方があまりにも無理筋だと小学生に見破られたのかもしれない。それにしても自由に持ち帰りOKのものに対して「いらないものだなんてひどい」と大げさに騒ぐのは厳しいし、どうしようもない大人なのだなと感じた。そのあとも「なんでそんなこと言うのーー?」と謝らせようと絡んできたのを避けて小学校を出た。これが小学校最後の日の出来事だ。

これだけ好き放題する小学校教師が居ることを考えると、今現在の小学生は大丈夫なのか不安になる。三者面談・家庭訪問では何一つわからないので、親は教師にもっと警戒した方がいいのかもしれない。そして多くの子供は聞かれない限り何も言わない。自分も上三つのエピソードは今でも一つも親には言っていない。

40:人と目を合わせられない/小学生時代に活躍してほしくないと言われた

人と目を合わせられない
小学校高学年の時、テレビで「笑顔をつくると人に好かれやすくなる」というのを何かのテレビ番組でやっていた。たしかに一般的な社会人経験者であればうなずける内容だろう。小学生の自分は笑顔をつくるだけで人に好かれるなんて取り入れない手はない!と思って早速、なるべく日常生活で笑顔をつくるように心がけた。
しばらく経ったある日、それ以前にどんな会話をしていたか忘れたが、とある女子に「お前の笑った顔が気持ち悪いんだよ!」と言われた。それ以来、人になるべく自分の顔を見せないようにうつむくようなクセがついてしまい、特に会話中に相手と目を合わせられなくなった。
以来、それが20年間続いている。

今現在、目を合わせて会話すると呼吸がキツくなることもあるし、精神力と体力が削られる。目を合わせようとすると、目を合わせる試み自体に気を取られ、肝心の会話内容をほとんど覚えられない。そもそも目を反らして会話する癖が完全についてしまっており、目を合わせる試み自体を忘れることがほとんどだ(何か思い出すアイデアが思いついたら実行したい)。「会話の最初の2秒目だけ目合わせて以降は違うところを見る」「10秒以内に2回は目を合わせる」等ルールをつくって実際の会話で練習をしてみたりしたが、慣れるまでには全く遠い状態だ。
目を合わせない人は一般的には不審がられる。ネット上では目を合わせられない人間のことを、不快だ、感じが悪い、相手を嫌いだから目を合わせないんだろう、相手に見透かされるのが怖いんだろう、悪いことを考えているから目を反らすのだ――とかボロクソに書かれている。実際に現実の人間関係においても悪い事しか引き起きない。しかし相手の目を見つめるなんて苦痛以上の何物でもない。
他人との人間関係が悪くなる要因の一つにこれが入っているように思う。地域障害者職業センターに通っていた時に、深刻な悩みの一つとして相談した。しかし障害者職業センターの担当者が言うには、他の事でカバーできるとか、人との関係が悪くなるのはそこが問題ではない、違うことに取り組んだ方がいいとのことだった。目を合わせられない事に対する苦痛量は目を合わせられる人にとっては全く理解できないものなのかもしれない。それでも自分がこの問題を解決する方法はないのだろうかと聞くと、「目を合わせる練習ができないことはない」とは言われたが、おそらくあちら側としてはやりたくなかったのだろうと思う。結局練習はしないうちに就職したので、障害者職業センターに行くことはなくなったのだが。

 

小学生時代に活躍してほしくないと言われた

前述の小学生時代の話を書くにあたって思い出したことがあるので書いておこうと思う。

小学5年の終わりか小学6年の初めの頃に、自宅の近所を帰宅後にランニングしようと考えた。その理由は、単に近所でそこそこ仲がいい同級生がランニングしていたからだ。
自分の通っている小学校はド田舎で、1学年全員で26人(男女半々)。こんな人数でもこの学校の中では多い年代で、少ない年代は1学年11人だったと思う。クラス替えも6年間一切なく、26人の人間関係が全く変わらない状態が続くので、上に居る人はどんどん自信がつき、下の人は一度も人の上に立つタイミングがなく、自信を持てないまま6年間を過ごすことになる。自分はもちろん最下層だった。
小学校高学年になると、運動能力もなく、コミュニケーション能力もなく、容姿も良くない自分に対して、周囲の女子の当たりがキツくなってきた。
そんな中、大きな出来事が起こった。小学6年の持久走(1000m)で、男子13人中2位に入ったのである。1位は自分が走るきっかけになった近所で走っていた同級生だ。自分は運動では大抵下から2番目~4番目で、平均以上(7位以上)になることはまずない。そんな中2位に入れたのは人生で初めてだったので、大変うれしかったのを覚えている。短距離では全く太刀打ちできない人達に長距離で勝てた!間違えなく放課後のランニングの成果だ。努力すれば成功する日がくるのだ!と思った。

しかし2、3日経ったあと、自分が一人でいるときに、女子のリーダー格の一人に「走るときに前に行かないでくれる?」と言われた。意味が分からなかったので聞き返すと「○○くん(=自分の名前)が前走っても(いい順位をとっても)女子は誰も喜ばないから」ということだった。そんなのは無理だ(勝負なんだから)と伝えたら「言っとくけど、(男子13人のうち)誰からも好かれてないのは○○くん(=自分の名前)とHくんとDくん(3人)だけだから」と返された。それでもどうしようもないでしょと言うと、「なんでわかんないの(わかってよ)」みたいな事を言って去っていった。

この出来事もかなりショックではあったが、前述の「笑顔が気持ち悪い」は実生活に今でも影響が出たので、それよりはマシだ。

そのリーダー格の女子はわざわざ人の居ないところで一人で話しかけにきた。仲が悪いわけでも良い訳でもなかった(自分に対してもっとキツく当たってくる人も多く居た)。今考えればむしろ話しかけてること自体、自分に対して会話したくないほど嫌いというわけではなく、会話する価値があると思ってきたのだろう(他の人に交渉したのかどうかはわからない)。これは個人の意見ではなく、女子の総意だったのかもしれない。努力した結果が出たのに、誰からもほめられず(男子からも女子からも担任からも一言も褒められなかった)、誰も喜ばず、ただ自分の順位が下がることを願う人がいるこの現実――。スポーツでは全力を出して正々堂々勝負するのがマナーのようなものだと思っていたし、八百長という概念も、言葉も知らなかった。わざと手を抜いて他の人に抜いてもらうなんて考えには一切ならなかった。それに順位関係なしにランニングを続けた自分のタイム自体がどう成長するか知りたかったので、それ以降も遅く走ろうとはしなかった。6年生になった後だったので、そのあと小学校で走る機会は1回程度しかなく、なにか女子との間にそれ以降に問題起きたというわけではない。

ちなみに上記の出来事のあとに、自分の事を嫌っている担任に2位の順位・記録を下げられた…(他人と入れ替えられた)。(⇒41:小学校教師から嫌がらせを受けた話に記入。)

男子13人女子13人で6年間生活すると、好きな相手が10人にも分散するのは今考えればちょっと面白い。3~4人くらいに固まりそうに思うのだが、女子自体も13人しかおらず人間関係が濃密すぎるので、この人が○くんを好きだから○くんを好きになるのを遠慮しておく、みたいな人間関係上の配慮があったのではないかと思う。なんだか自分のせいでHくんとDくんの名前が女子に誰からも好かれていないと晒しあげらたようで申し訳なく、二人に気を使って過ごした。