苦痛脱却帳

苦痛や不幸から抜け出す方法を書いていきます

40:人と目を合わせられない/小学生時代に活躍してほしくないと言われた

人と目を合わせられない
小学校高学年の時、テレビで「笑顔をつくると人に好かれやすくなる」というのを何かのテレビ番組でやっていた。たしかに一般的な社会人経験者であればうなずける内容だろう。小学生の自分は笑顔をつくるだけで人に好かれるなんて取り入れない手はない!と思って早速、なるべく日常生活で笑顔をつくるように心がけた。
しばらく経ったある日、それ以前にどんな会話をしていたか忘れたが、とある女子に「お前の笑った顔が気持ち悪いんだよ!」と言われた。それ以来、人になるべく自分の顔を見せないようにうつむくようなクセがついてしまい、特に会話中に相手と目を合わせられなくなった。
以来、それが20年間続いている。

今現在、目を合わせて会話すると呼吸がキツくなることもあるし、精神力と体力が削られる。目を合わせようとすると、目を合わせる試み自体に気を取られ、肝心の会話内容をほとんど覚えられない。そもそも目を反らして会話する癖が完全についてしまっており、目を合わせる試み自体を忘れることがほとんどだ(何か思い出すアイデアが思いついたら実行したい)。「会話の最初の2秒目だけ目合わせて以降は違うところを見る」「10秒以内に2回は目を合わせる」等ルールをつくって実際の会話で練習をしてみたりしたが、慣れるまでには全く遠い状態だ。
目を合わせない人は一般的には不審がられる。ネット上では目を合わせられない人間のことを、不快だ、感じが悪い、相手を嫌いだから目を合わせないんだろう、相手に見透かされるのが怖いんだろう、悪いことを考えているから目を反らすのだ――とかボロクソに書かれている。実際に現実の人間関係においても悪い事しか引き起きない。しかし相手の目を見つめるなんて苦痛以上の何物でもない。
他人との人間関係が悪くなる要因の一つにこれが入っているように思う。地域障害者職業センターに通っていた時に、深刻な悩みの一つとして相談した。しかし障害者職業センターの担当者が言うには、他の事でカバーできるとか、人との関係が悪くなるのはそこが問題ではない、違うことに取り組んだ方がいいとのことだった。目を合わせられない事に対する苦痛量は目を合わせられる人にとっては全く理解できないものなのかもしれない。それでも自分がこの問題を解決する方法はないのだろうかと聞くと、「目を合わせる練習ができないことはない」とは言われたが、おそらくあちら側としてはやりたくなかったのだろうと思う。結局練習はしないうちに就職したので、障害者職業センターに行くことはなくなったのだが。

 

小学生時代に活躍してほしくないと言われた

前述の小学生時代の話を書くにあたって思い出したことがあるので書いておこうと思う。

小学5年の終わりか小学6年の初めの頃に、自宅の近所を帰宅後にランニングしようと考えた。その理由は、単に近所でそこそこ仲がいい同級生がランニングしていたからだ。
自分の通っている小学校はド田舎で、1学年全員で26人(男女半々)。こんな人数でもこの学校の中では多い年代で、少ない年代は1学年11人だったと思う。クラス替えも6年間一切なく、26人の人間関係が全く変わらない状態が続くので、上に居る人はどんどん自信がつき、下の人は一度も人の上に立つタイミングがなく、自信を持てないまま6年間を過ごすことになる。自分はもちろん最下層だった。
小学校高学年になると、運動能力もなく、コミュニケーション能力もなく、容姿も良くない自分に対して、周囲の女子の当たりがキツくなってきた。
そんな中、大きな出来事が起こった。小学6年の持久走(1000m)で、男子13人中2位に入ったのである。1位は自分が走るきっかけになった近所で走っていた同級生だ。自分は運動では大抵下から2番目~4番目で、平均以上(7位以上)になることはまずない。そんな中2位に入れたのは人生で初めてだったので、大変うれしかったのを覚えている。短距離では全く太刀打ちできない人達に長距離で勝てた!間違えなく放課後のランニングの成果だ。努力すれば成功する日がくるのだ!と思った。

しかし2、3日経ったあと、自分が一人でいるときに、女子のリーダー格の一人に「走るときに前に行かないでくれる?」と言われた。意味が分からなかったので聞き返すと「○○くん(=自分の名前)が前走っても(いい順位をとっても)女子は誰も喜ばないから」ということだった。そんなのは無理だ(勝負なんだから)と伝えたら「言っとくけど、(男子13人のうち)誰からも好かれてないのは○○くん(=自分の名前)とHくんとDくん(3人)だけだから」と返された。それでもどうしようもないでしょと言うと、「なんでわかんないの(わかってよ)」みたいな事を言って去っていった。

この出来事もかなりショックではあったが、前述の「笑顔が気持ち悪い」は実生活に今でも影響が出たので、それよりはマシだ。

そのリーダー格の女子はわざわざ人の居ないところで一人で話しかけにきた。仲が悪いわけでも良い訳でもなかった(自分に対してもっとキツく当たってくる人も多く居た)。今考えればむしろ話しかけてること自体、自分に対して会話したくないほど嫌いというわけではなく、会話する価値があると思ってきたのだろう(他の人に交渉したのかどうかはわからない)。これは個人の意見ではなく、女子の総意だったのかもしれない。努力した結果が出たのに、誰からもほめられず(男子からも女子からも担任からも一言も褒められなかった)、誰も喜ばず、ただ自分の順位が下がることを願う人がいるこの現実――。スポーツでは全力を出して正々堂々勝負するのがマナーのようなものだと思っていたし、八百長という概念も、言葉も知らなかった。わざと手を抜いて他の人に抜いてもらうなんて考えには一切ならなかった。それに順位関係なしにランニングを続けた自分のタイム自体がどう成長するか知りたかったので、それ以降も遅く走ろうとはしなかった。6年生になった後だったので、そのあと小学校で走る機会は1回程度しかなく、なにか女子との間にそれ以降に問題起きたというわけではない。

ちなみに上記の出来事のあとに、自分の事を嫌っている担任に2位の順位・記録を下げられた…(他人と入れ替えられた)。(⇒41:小学校教師から嫌がらせを受けた話に記入。)

男子13人女子13人で6年間生活すると、好きな相手が10人にも分散するのは今考えればちょっと面白い。3~4人くらいに固まりそうに思うのだが、女子自体も13人しかおらず人間関係が濃密すぎるので、この人が○くんを好きだから○くんを好きになるのを遠慮しておく、みたいな人間関係上の配慮があったのではないかと思う。なんだか自分のせいでHくんとDくんの名前が女子に誰からも好かれていないと晒しあげらたようで申し訳なく、二人に気を使って過ごした。