苦痛脱却帳

苦痛や不幸から抜け出す方法を書いていきます

34:どん底人生の人間が中間くらいの人生になる方法

世の中には、中間くらいの人間が幸せになれるようなやり方が描かれた物が多い。しかし、どん底の人間が中間くらいに持っていく方法ってなかなか書かれてないですよね。自分は人生どん底の状態・世界の最下層の状態から普通・中間付近までもっていければそれでよくて、その方法が知りたいんですよ。「こうすれば幸せになる」と、幸せな人間に言われてもなぁ~それだけでどん底から幸せまでもっていくのって不可能なのでは?うまくいくのは既に幸せな人なのでは?と考えてしまっていた。

そもそも幸せになる方法なんて試さなくても幸せになってる人だっているじゃん。だから自分に幸せが降り注いでこないのが悪い。それに幸せになる方法とか試しても成功する確証もないし。

不幸のどん底から抜け出せない状態のままだったが、自分が幸せになる方法(人生をうまく過ごす方法)を考えて実行しようと思ったのは、どうせうまくいくことはないだろうから、「どんなに努力しても何もうまくいかなかった」という失敗談(不幸自慢)をネットでするためだった。だが、驚いたことに人生が以前よりうまくいってしまったので、不幸自慢をしなくてよくなった。

 

人生中間くらいを目指すための改善策

・他人と比較しない。他人に勝とうとしない。他人の目(評価)を気にしない。

他人と比較して負けていれば落ち込む。世の中は不必要な競争にあふれている。人の上に立っていたいという欲求が強いと、本来はしなくてもいいような競争に次々に挑んでしまい、そのぶんだけ負けの苦しみを味わう回数が人より多くなる。負けなかったとしても、負けたくないがゆえに難しい方法で勝とうとして、面倒事を増やし、そのせいで人生に疲弊する。(他人と比較して自分の嫉妬心を燃やして日々の活力にするという人も居るが、自分の嫉妬心をかなりうまくコントロールしない限りマイナスに働く。)
他人の目を気にしていると、他人からどう思われているのか不安になってくる。そして他人からの評価を上げようとする。他人の評価を上げようとすると、いつの間にか自分の人生の軸が他人に移ってしまい、本当にやりたいこともやれなくなる。そもそも周りからの印象を完全にコントロールすることは不可能なので、自分の人生は、自分のしたいことをやればいいはずだ。

失敗⇒反省⇒改善をしつこく自分の中で繰り返す

日常のあらゆる場面で、失敗⇒反省⇒改善をしつこく自分の中で繰り返すこともかなり有効だと思う。
仕事でその一連の流れを行っている人は居るかもしれないが、自分の場合は、友人関係や家族関係、日常の出来事についても行っている。
あらゆる失敗が人生の至る所で起きる。仕事だけでなく家族や友人間でのコミュニケーションミスなど、あらゆるところでのミスを、小さなことでも文字化して具体化して解決しようと心がけてみたところ、かなり効果があった。

失敗したら反省し改善して成長する。
「成長を目指す」なんて意識高い系の戯言だ。恥ずかしい。痛い。面倒臭い。そのように思う人もいるかもしれない。しかし不幸や苦痛の連続から抜け出すほぼ唯一の出口が、小さい失敗でも、ひたすら失敗⇒反省⇒改善という流れを嫌というほど繰り返して、少しずつ自分を成長させる(欠点を改善していく)事だ。
(よく成長成長言う人たちが存在するけど、彼ら彼女らは不幸から抜け出す手段として成長が一番だと理解して言っているんだろうか。当時は全く響かなかったけども。)そういう人たちとはルートが違うが、どん底の状況を経験したからこそ、今は成長(改善)の大切さを身をもって理解できている。
失敗⇒反省⇒改善さえめげずに毎日ひたすら癖のように繰り返していれば、それだけでとりあえず自分は前に進んでいる。自分が前に進んでいるなら、焦る必要はない。今どんな低い立場だろうがみじめな状況だろうが、他人の目や他人からの評価なんて気にする必要はない。自分が前に進んでいるなら、何も恐れることはない。今成功しなくてうまくいかなくても、以前よりは確実に前に進んでいけているのだから、世界の誰からも評価されなくても問題はない。

・他責思考を排除する。

グループ全体で何かしらの問題が発生した時に、すぐ「誰々のせいだ」と心の中でなすりつけてしまうのではなく、とりあえず自分の責任だと仮定して、自分は何ができたかをまず最初に考える。自分由来の原因は完全にゼロなのか。自分が原因だったらそれを改善すればいいし、他人の失敗だとしてもその人はどう対応すべきだったか考える事で、自分が未来で起こすかもしれない失敗をも防ぐことができる。日頃から余裕があれば他人が起こしてしまった失敗(仕事場の失敗だけでなく、ニュースで話題になった事件とか)についてもどうするべきだったか考えるのもいいと思う。

・何か出来事が起こった時の捉え方(考え方)を変える

「物事は捉え方(考え方)次第で小さなことでも幸せになる」とよく聞くけれど、そんなに劇的に変わるとは思えなかった。捉え方なんて小手先のごまかしに見えて、考え方を操作して、大した事じゃない事で幸せに感じた所で、わざわざそんな操作を挟む自分にむなしくなるのではないか。そもそも大した幸せじゃないじゃんか。物事のとらえ方どうこうでなく、誰もが幸せに感じるような幸せが自分に降りかかって、それで幸せを感じたい。皆と同じ量の幸せが降ってこないから不公平だ。
しかし捉え方(考え方)を変えるというのは人生の不公平を中和する方法である。
捉え方(考え方)操作の積み重ねの連続で感知できるようになった幸せと、捉え方操作なしの幸せの違いなんて、実際幸せを感じてる瞬間はどうでもいいと思える。どっちも同じようにプラスだということ。これは特に理解してほしい。自分で(考え方を変えて)作り上げた幸せと空から降ってくる偶然の幸せは完全に同じであるという事だ。
プラス思考をクセにすれば幸せに感じたり楽しく感じる事が多くなる。
※プラス思考というのは、とっさに浮かんだ自分の考え方や感じ方をを理屈でプラスに持っていくということで、楽観的・能天気になるという意味ではない。

他人との比較、人より上に立ちたいという欲・プライド・嫉妬心、他責思考、これら全部捨て去ることは、人によってはかなり難しい戦いで、自分の弱さや汚さを認める作業なので、苦しいし抵抗したくなるけど、これらを捨てると、最終的には以前と比較にならないほど穏やかな気持ちで過ごせるようになる。これらの考えが強ければ強い程、徹底的に今までの考えを壊して完全にゼロから脳をつくるくらいの大作業が必要になる。結果的に自分は大作業をして考え方を変えられた。1年はかかるかもしれない。他人との比較、人より上に立ちたいという欲・プライド・嫉妬、他責思考――これらの考えを全部捨ててゼロから脳をつくりかえる作業こそが人生だったのでは、とすら思えてくる。

統計を取ったわけでも何でもないのだが、実際身の回りに起きる出来事を考えていくと、毎年自分に訪れるのは「幸:不幸」=「1:9~2:8」くらいのように感じていた。毎年こんな人生でよく生きていけるなと思っていた。10歳の頃から31歳まで、何度も何度も人生を自分で終わらせようとして踏みとどまっていた。

上に何点か挙げたことは、いずれも全て脳を操作する事(考え方を変える事)、だけだ。
仕事で高い地位になったわけでもない、多くのお金を稼いだわけでもない、仲のいい親友ができたわけでも、恋人ができたわけでもない、それにもかかわらず、ゼロから脳をつくりかえる作業をした後である去年は、明らかに人生がいい方向へ向かい、まさに幸・不幸の比が同じくらい「幸:不幸」=「5:5」くらいに感じた。(今年は終わってないのでわからないが。)こういうのが普通の人の人生なのか。考え方だけで世界が変わって感じるのは不思議だが、以前とは比較にならないほど穏やかな気持ちで過ごせている。